夜の勤行



災払鬼(さいはらいおに)

講堂上手の岩屋の中で鬼の衣装となる。荒縄で体を縛り、あの鬼の様相になる。
荒鬼(災払鬼・鎮鬼の二鬼)は、開白の時に介錯(カイシャク)に背負われて岩屋から講堂に降り講堂内の須弥壇(しゅみだん)裏手に待機している。
鬼になる僧二人を南面してしゃがませ、鬼の面をかぶせて神酒をふきかける。当日は、文殊仙寺の住職が仏前に供えてあった国東半島の地酒である“西の関”を口に含んで荒鬼の面に吹きかけた。

院主ともう一名の僧が護身法を結び、般若心経を唱える。続いて鈴鬼の鬼招によって荒鬼二鬼は薬師如来座像前で災払鬼と鎮鬼の秘法を演ずる。

荒鬼には災払鬼と鎮鬼の二鬼だが、その姿は次の様。災払鬼は、頭の中央に1本に角がある。背中に鈴を下げ、右手に斧、左手に松明を持っている。鎮め鬼には角は無く、右手に黒い木製の太刀、左手に松明を持つ。災払鬼は文殊仙寺の副住職、鎮鬼は行入寺の住職が演じていた。

荒鬼の登場に際し、文殊仙寺の住職よりその説明がされた。その説明に若干の解説を加えると、災払鬼は仁聞菩薩または愛染明王の化身と云われている。鎮鬼は法蓮上人あるいは不動明王の化身。これらが忿怒(ふんぬ)の相を現わして一切の大魔を降伏しようとする姿をしていると云われている。

元々は、他の国東半島天台寺院の鬼会と同様に、災払鬼・荒鬼・鎮鬼の三鬼を荒鬼としていたが、以下の言い伝えによって災払鬼・鎮鬼の二鬼を荒鬼と称するようになった様だ。

言い伝えとは、・・

昔、市ノ坊という僧が、荒尾になった時、あたかも鬼の精が乗り移ったかのように暴れだし、ついに鬼止石(結界石)を越えて市ヶ谷まで飛び出した。そこで僧は息絶え、鬼の面は大きく飛んで伊美の権現綺の鼻に食いついてた。岩戸寺で鬼会を行う時には権現崎に灯がともるといわれる。
この時以来、岩戸寺には荒鬼の面がなくなり、災払・鎮の二鬼を荒鬼と総称するようになった。

二鬼は、キヨメを受け、権現に向って拝をおこない、虫震い(ムシブルイ)をして身体についている虫を払い落す。続いて“三々九度”“二十一走非行”“九走飛行”といった荒鬼秘法を所作する。

鬼や介錯(カイシャク)は、“鬼はヨー、ライショはヨー”大きな声で囃しながら、八調子で講堂の外陣(縁)を燃えさかる松明や斧・太刀を振りまわしながら飛びまわる。

また、鬼と介錯(カイシャク)とが手をつないで片足を蹴上げる仕草は子供の頃の遊びに似てユーモラスでもある。これとは別に、介錯の支える松明に手刀を切る様な仕草等もあり、勇壮な所作交えた熱演が小さな茅葺き屋根の講堂で繰り広げられる。

参詣者達は内陣中央でこれを見物する。


災払鬼役 文殊仙寺の秋吉文暢副住職

災払鬼

鎮鬼

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